お知らせ

お知らせ


「太平記合戦図」歌川芳虎画・・・福海寺

2018/08/11お知らせ

 

1336年(建武3年)京都合戦に敗れた足利尊氏は、播州三草より兵庫に逃亡中、新田義貞軍の兵士に追われ、急遽福海寺の前身である針ヶ崎観音堂の壇下に身を潜め、辛うじて一命を取り留めました。その後、兵庫を出航し、九州より西国の水軍を率いて、観世音菩薩名号の帆を張った軍船で兵庫の地に再上陸、そして湊川の合戦に勝利しました。

 

室町幕府を開いた足利尊氏は、1344年(康永3年)一命を取り留めることとなった針ヶ崎観音堂への報恩と、彼我戦没者供養、祝国安民祈願の為に京都正伝寺より在庵圓有禅師を拝請し福海寺を開きました。

 

「福海興国」の文字は、尊氏が福海寺の前身である針が崎観音堂で命拾いし、兵庫より出航となったことが国を興す元に成ったとの感謝の念を表したものといいます。