お寺の由緒・歴史

お寺の由緒・歴史


福海寺の由来

兼武3年、京都合戦に敗れた足利 尊氏公は、丹波路を取り播州三草より兵庫に来られましたが新田 義貞の兵士に追われるところになり、急遽福海寺の前身である針が崎観音堂の壇下に身を潜められました。それにより幸うじて一命を取り留めた足利 尊氏公はその後兵庫を出航され、九州より西国の水軍を率いて観世音菩薩名号の帆を張った軍船を兵庫の地に再上陸させます。そして見事湊川の合戦に勝利されます。

室町幕府を開かれた尊氏公は、康永3年(1344年)一命を取り留めることとなった針が崎観音堂への報恩と彼我戦没者供養、祝国安民祈願の為に、京都正伝寺より在庵圓有(ざいあんえんゆう)禅師を拝請し【福海寺】を開かれました。

福海寺の正式名には「福海興国禅寺」といいます。福海興国の文字は、足利 尊氏公が福海寺の前身である針が崎観音堂で命拾いされ、兵庫より出航された事が国を興す元に成ったとの感謝の念を表されたものです。

福海寺に大黒天が祀られているのも足利氏が大黒天信仰であり、大国主の子孫である賀茂氏と福海寺が深い関係があったことも由来するともいわれています。

七福神めぐり


福海寺は「兵庫七福神」の大黒天を祀る寺院としても知られています。
兵庫七福神は、蛭子大神を祀る【柳原蛭子神社】、毘沙門天様を祀る【能福寺】、弁財天様を祀る【和田神社】、布袋様を祀る【柳原天神社】、
寿老人様を祀る【薬仙寺】、福禄寿様を祀る【真光寺】で構成されています。

兵庫七福神:弁財天
和田神社

兵庫七福神:寿老人
薬仙寺

兵庫七福神:福禄寿
真光寺

兵庫七福神:毘沙門天
能福寺

兵庫七福神:布袋
柳原天神社

兵庫七福神:蛭子大神
柳原蛭子神社

七福神、大黒天様の由来


大黒天様は、ふくよかな体系で左肩には大きな袋を背負い、右手には打出小槌を持ち、米俵をふむ、福々しい姿の福の神です。
【財運福徳】のご利益があり、持ち物の打ち出の小槌にそれが表れています。そこからさらに派生して五穀豊穣や出世開運、商売繁盛のご利益もあります。